秦河勝
早すぎる決断は、他者の思考を奪う。無二の側近が残した「巨大な空洞」
飛鳥時代。国家という輪郭がまだおぼろげだった黎明期の日本において、富と最新技術を一手に握る一大集団がありました。大陸からの高度な土木技術や養蚕を伝え、荒れ地を切り拓いてこの国のインフラの土台を築き上げた渡来人系氏族「秦氏(はたうじ)」です。
秦河勝(はたのかわかつ)は、その強大な技術・経済集団を率いる族長であり、同時に聖徳太子の確固たる側近として朝廷の実務を取り仕切る特異な存在でした。空理空論や派閥争いが飛び交う朝廷にあって、彼は群を抜いて、泥にまみれながらも「目に見える成果」をすさまじい速度で提示し続けていたのです。
彼の振る舞いが決定的に異質だったのは、誰もが顔を見合わせるような、寺院建立という莫大な負担を前に、一切の躊躇を見せなかった点にあります。 聖徳太子が「誰かこの仏像を祀る者はいないか」と諸臣に問いかけたとき。莫大な私財と高度な技術力を要求されるその重い負担に、群臣が計算を巡らせて沈黙に沈む中、彼だけが進み出ました。
「私が祀りましょう」。
ただ一言で、未来の重責を引き受けたのです。
彼をそこまで駆り立てたものは何だったのでしょうか。その揺るぎない速度の裏側で、彼の中では一体何が起きていたのでしょうか。
— noteの記事の導入部分より