荀子
「優しさ」だけでは誰も救えない。万民を等しく導く「法治国家の原点」
戦乱の嵐が吹き荒れる中国戦国時代の末期。
人々はすがるように天に祈り、どこかから高潔な道徳の時代が到来することを待ち望んでいました。
そんな凄惨な空気の中で、天変地異に怯える群衆を前に、荀子は静かに言い放ちます。天の運行は人間の吉凶とは何の関係もない。神への祈りなど無意味である、と。
彼は孔子の教えを受け継ぐ正統な儒家でした。人が人を思いやる「仁」の心こそが世界を救うと信じていたはずの彼が、同時代の思想家たちが語る美しい「性善説」を真っ向から切り捨てます。人間の本質は、放っておけば必ず他者と奪い合い、果てしない争いに行き着く「欲望」であると。たとえ人の内にわずかな「善」の種が眠っていたとしても、それだけでは生きるための圧倒的な欲望の濁流には絶対に勝てない、そう考えました。
彼は人間の泥沼のような本性を、逃げることなく直視しました。そして、その泥沼から人間を救い出すためには、見えない道徳にすがるのではなく、外側から形を整える、社会の秩序を保つ厳格な行動規範としての「礼」という強固な枠組みが必要だと説いたのです。
なぜ彼は、誰よりも深く人間を愛そうとしながら、あえて痛みを伴う鎖で人間を繋ぎ止めようとしたのでしょうか。
— noteの記事の導入部分より