山部赤人
私情を捨てて風景を切り取る、透明なレンズ
奈良の都が華やかな活気に包まれていた八世紀前半。身分や家柄が人間の価値のすべてを決定づける不条理な社会において、下級官吏として聖武天皇の行幸に黙々と随行し続けた一人の男がいました。山部赤人。
かつての歌聖・柿本人麻呂が、自らの引き裂かれるような悲哀を大自然の営みに重ね合わせて絶唱したのに対し、赤人の眼差しは限りなく客観的でした。しかしそれは、近代の芸術家のような孤高の自己表現ではありません。彼は宮廷歌人として、天皇の眼に代わって「この国土がいかに秩序立って美しく、神聖であるか」を証明するという、公的な職務を帯びていました。
その圧倒的な使命感のなかで、彼は和歌の中に「私」という主語を滑り込ませることを自らに固く禁じます。己の情念や愛憎といった不純物を極限まで削ぎ落とし、ただ目の前に広がる富士の白雪や、若の浦を舞う鶴の姿を、永遠に変わらない一枚の絵画として切り取ることに生涯を捧げたのです。
多くの歌人が自らの想いを他者へ届けようとしていた時代に、なぜ自らの気配を消し去り、風景を写し出すことに没頭したのでしょうか。
— noteの記事の導入部分より