トゥキディデス
追放を「特権」に変えた男。敗北の記録を永遠の財産に変えた視座
紀元前5世紀。
古代ギリシャ世界を二分したアテナイとスパルタによるペロポネソス戦争。この未曾有の大戦を後世に書き残した男、トゥキディデスは、元々はアテナイの将軍でした。しかし、彼はトラキア地方の要衝アンフィポリスの防衛に失敗し、その責任を問われて祖国から20年間もの追放処分を受けます。
輝かしい軍歴を絶たれ、故郷を追われる屈辱。通常であれば、自己弁護の記録を残すか、祖国を呪うか、あるいは失意の底に沈むところです。しかし、彼はその境遇を反転させます。
追放された身分を利用して敵国スパルタ側の陣営にも自由に出入りし、双方の動向を最も近い場所で観察する特権を得たのです。彼は、当時の人々が信じていた神々の介入や、英雄たちの神話を歴史から徹底的に排除しました。彼が見つめたものは、神意ではなく人間の本性です。「恐怖、名誉、利益」。彼は人間を突き動かす根源的な動機のみを抽出し、出来事の因果関係を仮借なく記述しました。自らがアテナイの疫病に罹患し、死の淵を彷徨った際、自身の肉体を苛む症状の推移すらも観察対象として手記に留めました。
「この書物は、一時的な聴衆の喝采を浴びるためではなく、永遠の財産として書き上げられた」。
敗北と追放という個人の悲劇を、人類の普遍的な記録へと昇華させた彼の内面には、どのような思考の連鎖があったのでしょうか。
— noteの記事の導入部分より