キモン
追放された無敗の将軍。英雄が抱えた「正しさ」という名の凪
今から約2500年前、地中海の東に、互いに張り合いながら共存する小さな都市国家の群れがありました。その中心にあったアテナイは、東方の大帝国ペルシアとの長い戦争をようやく終え、ギリシア世界の盟主として力をつけ始めた時代のことです。
その時代に、一人の将軍がいました。キモン。
父はマラトンの戦いでペルシアの大軍を退けた英雄ミルティアデス。しかし息子が受け継いだのは、英雄の名声ではなく、父が残した巨額の借金でした。姉の結婚という形でその清算を終え、ようやく社会に立ったこの男は、やがてアテナイ最強の将軍となり、ペルシアへの遠征で連戦連勝を重ねます。
同時代の誰の目にも奇妙に映ったのは、そのキモンが、アテナイの多くの市民が敵視していたスパルタを「ギリシアの片割れ」として公然と擁護し続けたことでした。
紀元前464年に起きた大地震をきっかけに、スパルタで農奴たちの大規模な反乱が起きました。その後、同盟諸国に援軍を求められたキモンは、紀元前462年にアテナイ市民議会を説得し、重装歩兵4000人を率いてスパルタへ向かいました。
ところがスパルタは突如、アテナイ軍だけを受け入れませんでした。民主主義の思想が反乱中の農奴に伝染することを恐れたのです。キモンは何もできないまま、4000人の兵を連れてアテナイへ帰りました。
一人の英雄を突き動かし、やがて時代から切り離したその強烈な想いの正体とは、何だったのでしょうか。
— noteの記事の導入部分より