甘茂
物語の鞘に刃を隠し、誓約の楔で心を縛った異邦人
戦国時代の秦。
楚から流れ着いた異邦人でありながら、左丞相の地位まで上り詰めた将軍がいました。当時の宮廷は、昨日までの恩人が些細な感情の揺らぎで今日の暗殺者に変わる、極めて脆い構造の上に成り立っていました。異国人が生き延びるための命綱は、時の王からの個人的な信任ただ一つだったのです。
王の絶対的な君命がすべてを決する時代に、彼だけが人間の心の脆さを温かい物語で解き明かしながら、同時にその心を逃げ場のない楔で必死に縛り付けようとしました。長期戦となる宜陽攻略の出陣前、彼は武王の前に立ち「曾参の母」の寓話を語りかけます。いかに我が子を信じる慈母であっても、三度「子が人を殺した」と讒言を聞かされれば、恐怖から機織りの手を止めて逃げ出してしまう。そう淡々と説き、王の心変わりを防ぐための「息壌の誓約」を取り付けたのです。
温かい言葉で相手の心の奥底に触れながら、なぜ最後には冷たい誓約というルールにすがらなければならなかったのか。人の感情の機微を誰よりも深く理解していたはずの彼の内側を紐解いていきます。
— noteの記事の導入部分より