楚の共王
すべてを背負い、罰を独占した王の「優しき絶望」
春秋時代中期。
大国・楚を率いた共王は、覇権を賭けた鄢陵(えんりょう)の戦いにおいて晋軍に敗北を喫し、自らも目を射抜かれる重傷を負います。さらに、翌日の反撃を期して軍議を開こうとした矢先、司馬(軍政長官)である子反が泥酔して現れないという事態に直面しました。
通常であれば、敗戦と軍律違反の責任を彼に負わせ、厳罰に処すことで軍の規律と王の面子を保つ場面です。しかし、共王が下した決断は、同時代の誰の目にも異質に映るものでした。彼は子反を処罰せず、「天が楚を敗らせたのだ」と全軍の撤退を命じたのです。さらには死の床にあって、自らに「乱れ」や「残酷」を意味する悪諡(あくし)を贈るよう懇願しました。
他者を裁かず、すべての「罰」を己ひとりで独占しようとした王。その胸の奥底で、一体どのような思いが交錯していたのでしょうか。
— noteの記事の導入部分より