藤原道長
権力の頂点で握りしめた五色の糸。「冷徹な合理性」が招いた魂の渇望
藤原北家の有力な血筋、兼家の五男として生まれた彼には、最初から権力に近い場所が用意されていました。とはいえ、そこから「頂点」へと至る道までもが確約されていたわけではありません。
長徳元年。二人の兄が相次いで病に倒れ、やがて政敵である甥たちが自滅的な失脚を遂げたとき、彼に巡ってきたのは歴史の偶然か、あるいは必然だったのでしょうか。
彼は、藤原氏の常套手段である「娘を入内させ、外祖父として実権を握る」という伝統的な血縁システムを踏襲します。しかし彼の恐ろしさは、その不確実なシステムを、一切の遊びを許さない完璧な「権勢永続化装置」として極限まで駆動させたことにありました。
寛仁2年、三女・威子の立后の宴。
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」。
満月の下で詠まれたその歌の圧倒的な完璧さを前に、列席した有力な公卿たちは返歌を詠むことすらできず、ただ全員でその歌を幾度も唱和するしかありませんでした。誰も逆らうことのできない権力空間が完成した瞬間です。
すべてを思うがままに操ったはずの男が、晩年、病に苦しみ、死の床で阿弥陀如来の御手(みて)から伸びる五色の糸を必死に握りしめていたのはなぜか。栄華の極みと、その奥底に潜む震えるような渇望の正体を紐解いていきます。
— noteの記事の導入部分より