木戸孝允
血風の時代に「紙と朱筆」で挑んだ男

幕末から明治初期にかけて、激動の日本で近代国家の骨格を設計した政治家がいました。桂小五郎、のちの木戸孝允です。
武力が天下を動かし、志士たちが刃を交えた時代において、彼は異質でした。威勢のよい言葉や感傷的な約束を過信しませんでした。
慶応二年、京都の小松帯刀邸で薩長同盟が結ばれた直後のことです。
同志たちが結束を喜ぶ傍らで、彼だけは冷静に先を見据えていました。口頭の約束という不確かな要素を排し、同盟の条々を自ら書き起こし、仲介者として立ち会った坂本龍馬のもとへ送りました。
そして、その書面の裏に「毛も相違無之(少しも違いはない)」という確約を朱筆で記すよう求めました。万が一薩摩が裏切った際、龍馬を証人として立て、その道義的責任を天下に問うための布石でした。
動乱の渦中にあって、なぜ彼だけがこれほどまでに紙と手続にこだわったのでしょうか。
その内側には、彼特有の眼差しと切実な動機が存在していました。
— noteの記事の導入部分より